議席番号1番、森本富夫でございます。

議長のお許しを得まして、通告に基づき市長、教育長にお伺いすると共に、ご提案申し上げます。

 

 

質問事項1.「太古の生き物」はどこへ

平成188月、地元の地学愛好家が、丹波市山南町の篠山川河川敷で恐竜化石を発見、その後の調査で植物食恐竜(竜脚類)ティタノサウルス形類の化石と判明いたしました。世界的にも発見例が少ない環椎や脳函、歯も発見され、恐竜の化石が元の位置関係を保ったまま、1個体分産出したのは、日本で初めてであります。今後の発掘調査が期待されると共に、発掘された地層「篠山層群」が、大きな注目を浴びました。

「篠山層群」は、中生代白亜紀前期の地層で、約1億1千万年前のものであると推定されており、凝灰岩類が中心の上部層と、泥岩などが堆積して出来た下層部とに分かれており、恐竜を始めとする太古の脊椎動物たちの化石は、篠山層群の下層部から発見されたものであります。篠山市春日江から丹波市下滝まで、東西に約18km、そして南北に約6kmに亘って分布しており、大部分は篠山市にあり、篠山市内での発見が期待されるなか、篠山市宮田から角竜類のあごの化石がみつかりました。

 角竜類は、植物食恐竜の仲間で、見つかったのは3本の角で有名な、トリケラトプスにつながる原始的な角竜類で、角竜類の発見は国内初となります。また、発見された角竜類と同じ場所から、平成205月国内最古級の哺乳類の化石が発見されました。

私たちの先祖にあたると見られる白亜紀前期の哺乳類化石の発見は極めて少なく、篠山層群の年代に限れば、世界で11例しかありません。ねずみぐらいの大きさしかなかった当時の哺乳類の、その後の進化の空白を埋める発見であり、学術的には丹波竜の発見より、貴重な発見とされました。

記者発表には、各新聞社やテレビ局の中継もあり、日本全国、また世界中の注目を浴びました。続いて獣脚類や曲竜類の歯の化石も発見され、まさに化石の宝庫の篠山層群となりました。

篠山市も、河合先生を委員長とした「篠山市脊椎動物化石保護・活用委員会」を設置し、保護・活用に係る、今後の方向性や具体的な取り組みについて検討頂き、提言を頂きました。盗掘を防ぐ為の条例の制定や、発見現地のフェンス設置、そして発見現地の買受に向けた地価調査も進み、昨年の市政執行方針では「研究会や講座、また化石カフェなどの開催や、各種プログラムの実施などを通じて、化石の保護・活用をめぐる活動が篠山市の誇りとなるよう、市民と一体となって取り組む」とあり、交流拠点として、昨年4月には黒豆の館に、化石展示コーナーも設置されました。

 

地元や地域、そして黒豆の館の指定管理を受けている「とっぱち協会」も多いに歓迎し、太古の生きものを活かした地域活性化への取り組みに、市と一体となって取り組もうとの意欲が高まると共に、大いに期待したところでありますが、昨年1年間、何の働きかけも無かったのが、現実ではないでしょうか。

 昨年1年間を振り返り、どのような取り組みができ、どのような成果が上がったのか、また篠山の魅力や、誇りを高めるため「太古の生きもの館」を、積極的活用できたのかをお伺い致します。

また、企画課太古の生きもの係を中心とした庁内体制をつくり、篠山の魅力づくりと、地域活性化への取り組みであると理解していましたが、各条件整備もされぬままに、平成23年度からは、突然に教育委員会所管に移りました。市長の市政執行方針では、一言も触れられず、教育長の教育方針では“貴重な化石が眠る篠山層群を教育的な資産と捉え”とあります。

 発見現地は、荒れ果てたまま、太古の生きもの館は、中途半端、市民と一体となった取り組みへの仕掛けは何も無い、市政の中核をなす企画課として、打ち出した条件整備と目的、また役割は終了したのか、市長部局から教育委員会への所管変更の理由と意味、「太古の生きもの」の、今後の位置づけと活用方策を、重ねてお伺い致します

 

 

 

 

質問事項2.猿害(有害鳥獣)対策についてに入ります。

 平成212月に行った「農都宣言」の実現に向け、各種施策が実施されておりますが、後継者確保、農地保全、生産意欲の向上等、農の都、篠山農業の維持発展のためには、多くの問題が山積しています。

 農作物等に甚大な被害を及ぼし、生産意欲の減退や、耕作放棄につながる有害鳥獣害対策も、緊急の重大な課題であります。市としても、以前からの取り組みに加え、基金の設置や最優先課題として、積極的に獣害防護フェンスの設置に取り組んでいただいており、設置が完了した自治会からは、感謝の声を聞くところであります。

 防護フェンスの設置で、シカやイノシシの防護が出来るようになりましたが、サルは防ぎようが無い事を、改めて思い知ることとなりました。担当部署による熱心な指導のもと、昨年提供頂いたエアガンや、ロケット花火等の用具を使い、サルメールを参考にしながら、必死に追い払いを行い、獣害に強い集落作りに努めていますが、被害は年々増えており、山裾に接する畑からの収穫は、猿の大群により皆無となる場合が増えてきています。

「ニホンザル」を少し学んでおきましょう。ニホンザルとは、サル目オナガザル科マカク属の一種で、体重は平均オス11kg、メス8kg、体長は平均オス59cm、メス54cmです。寿命は野生状態で25歳前後とされ、分布は北限の青森県下北半島から、鹿児島県屋久島まで日本列島の広域に分布しており、現在の総頭数は10万頭を超えると推定されています。

繁殖形態は秋から冬にかけて交尾を行い、妊娠期間は170日から180日、春から夏、調度今の時期に1頭(まれに2頭)を23年に1回出産し、メスの初産年齢は79歳で、20歳前後まで出産が可能との事です。つまり平均ですが、メスは生涯に56頭子供を生むとされており、現在70頭前後のA群なら、1年間に15頭前後の子供が生まれている計算になります。

食性は植物食傾向の強い雑食で、主に果実を食べますが、植物の葉・芽、草、花、種子、キノコ、昆虫などを食べており、人間が作っている野菜類は、まさにご馳走なのです。数頭から100頭程度までの母系集団で群れを形成し、一定の地域だけで生活しており、その地域を遊動域といいます。隣にいる群れの遊動域とは一部重なっていますが、群れ同士は普段、互いに避けあうように移動し、群れの間の闘いは滅多に起こりません。このことで篠山市内の4群が、淘汰されずに共存しているのです。

また困ったことに、ニホンザルはとても賢く、真似をし、覚え、進化します。追い払いをする人の車を覚え、人がいなければ戸を開けます。特に引き戸などはお手のもので、民家の網戸などは何の役にも立ちません。

サル追い払い監視員によるサルメールに、一喜一憂しながら、追い払いが出来るのも、自宅に居ればこそ出来ます。またサルは朝が早く、夏場は早朝での被害も多くあります。最近は、人や追い払いにも慣れてしまい、隙を突いて倉庫や作業場、場合によっては住宅の中まで侵入する場合があり、老人や婦人・子供が危険を感じることもあるとのことです。

市政執行方針には「シカ・イノシシなどの駆除・個体数の減少に取り組む」とありますが、サルにおいても駆除や、個体数の減少に取り組むことが、必要になって来たのではないでしょうか、農業者とニホンザルの共存は出来ません。適正頭数のニホンザルとの、住み分けのみができるのです。

最近は個体数の増加を実感すると共に、悪質化したサルを目にするようになりました。サル追い犬の早期実用導入と、一斉捕獲の可能性の調査と検討、一斉捕獲が許されないのなら、せめて悪質化したサルの有害捕獲駆除に積極的に取り組むべきと考え、市長のお考えと今後の対策についてお伺い致します。

また市政執行方針の有害鳥獣対策において、「獣害防護フェンス設置の希望がありながら、未だ設置できていない12地区51kmについても、順次、整備を進めていきます。」とありますが、具体的に国県補助のどの様な見通しがあり、市としてどの程度の事業化の目途が立っているのかを、重ねてお伺い致します。

 

 

質問事項3.“地震(災害)記録の調査・公表・活用を”に入ります。

平成23311日、記録的な大地震とそれによる大津波により、東日本各地では甚大な被害が発生し、多くの尊い命が失われました。心よりお見舞い申し上げますと共に、1日も早い生活の安定を願うところであります。      

3カ月が経過した今も、9万人以上が避難生活を強いられ、仮設住宅への入居や、瓦礫撤去もなかなか進んでいない現状です。

また福島第一原発事故においては、事故収束が今なお見通せず、人が住めない地域が発生する、という考えられない事態となってしまいました。高齢化や過疎化が進む地域も多い中、国はどのような構想で復興を進めて行くのか、一日も早く見通しを示すべきと考えます。

地震や津波による災害や、それによる福島原発の事故は、想定以上の大きな地震と津波によるもの、と言われておりましたが、歴史の記録では、明治29年の明治三陸地震津波や、昭和8年の昭和三陸地震津波、またペルー沖地震による津波等、過去に何度も大規模な津波が襲来していることが判っており、過去の津波被害に基づき高台移転をした町では、被害が少なくてすんでいるのです。

最近になり、私達の身近な福井県の若狭地区にある関西電力原子力発電所周辺においても、過去に大規模な津波が発生し、多くの被害があったとの歴史資料が公表され、その対応が取りざたされております。

私達が住む篠山市は、過去にどのような大きな地震や災害が発生したのでしょうか、私が知りうるのは、昭和58年の大水害や阪神大震災ぐらいです。篠山市は地震や災害が少なく、たとえ地震が起こっても非常に硬い篠山層群の上にあるため、被害は起こりにくいと言われておりますが、断層も走っており、根拠があるのでしょうか。 

1度しっかりと、過去の記録や古文書を早急に検証し、公表すべきと考えます。幸いに市立図書館には、多くの歴史的資料があるとともに、市内には多くの郷土史研究家や古文書研究家がおられます。皆様の応援を得られれば、十分可能ではないでしょうか。

過去の記録は、これからの防災対応に生かせると共に、本当に過去に大きな地震が無く、大きな災害も少ないのなら、それは大きな篠山の魅力となり、“自然災害に安心のまち篠山”として、大きなインパクトになるのではないでしょうか。

また、今回の東日本大震災により、工場等に壊滅的被害や、大きな被害を受けた企業の中には、災害リスクの分散と将来的な展望を踏まえ、工場等の移転を考えている企業もあると聞きます。“自然災害に安心のまち篠山”、企業誘致に向けた1つの戦略としても、大いに活用できると考え、地震(災害)記録の調査・公表・活用についての、市長等のお考えをお伺いいたします。

以上で、この場での質問を終わります。